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9月15日は天下分け目の関が原の戦いがあった日で阪神が18年ぶりに優勝した日だ。 [歴史]

天下分け目の関ヶ原の合戦!




慶長5年(1600)9月15日、美濃国不破郡関ヶ原で徳川家康率いる東軍と

石田三成率いる西軍が天下分け目の大決戦。

これにより、勝利した徳川家康の覇権は決定的なものとなった。

実際の東軍の中身といったら、徳川直系は秀忠の率いる3万の軍勢が、

信州の真田昌幸におちょくられた上に、関が原の戦いに遅刻してきたものだから

(あとで家康に大目玉を食らった)、井伊直政と松平忠吉の軍勢6千人くらいしかいなかった。

じゃあ東軍はほかにはだれがいたか?

早い話が、豊臣恩顧の武将が石田三成憎さのために特に強い軍が徳川家康についた、

というかたぶらかされた?

両軍あわせて15万以上もの天下分け目の戦は、7時間ほどであっけなく東軍が勝った。

裏切りや内応は戦では普通にあるのだろうが、石田三成の人徳のなさが最大のものだ。

そのご、天下の行方は、大阪の陣を経て、家康のものになっていった。

それから260年も徳川幕府が続いたのだからたいしたもんだ。


1985年に吉田義男監督率いる阪神タイガースは、

1番真弓、3番バース、4番掛布、5番岡田、6番佐野らのダイナマイト打線が大活躍し、

21年ぶりにリーグ優勝と38年ぶりの日本一を勝ち取った。

私も含め誰もが猛虎時代の到来を期待したが、翌年から坂を転げ落ちるように弱体化していった。

その間、バースの帰国、掛腑、川藤の引退、岡田のトレード、真弓の引退など

85年優勝の主力がほとんどいなくなっていった。

監督は、吉田から村山、中村勝弘、藤田平と球団OBを監督としてつづけるも弱いチームは

一向に強くならなかった。

そして、野村克也監督が就任した。

しかし、ほとんどろくな選手がいなかった阪神は名監督野村でも3年連続最下位という成績

であった。

翌年、中日を退団したばかりの星野仙一を監督に迎え、四位へ躍進し、

5年ぶりに最下位を脱出。

が、10年連続のBクラスだった。

そしてオフには、選手補強をした。

金本、下柳、野口、ウィリアムス、伊良部。

2002年は開幕より快進撃を続け、

9月15日に18年ぶりにリーグ優勝を果たした。

2005年にもJFKで優勝したが、また10年空いてしまった。

今年もむりだろう。






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