SSブログ

石破氏が本格的に動き出した [政治]

 石破氏は10月にも「石破派」を結成する方針も表明。すでに20人超が入会届に署名した。「ポスト安倍」を目指すことを公言し、足場となる派閥を作ることで、党内に確固たる支持基盤を築く考えだ。

 「政権構想を作るには、長い時間と大変な労力が必要だ。『誰が』でなく何をやるのかきちんと提示し、いつの日かご審判をいただくために備えたい」

 石破氏は9日、新派閥を作る理由について、記者団にこう強調。次期総裁を目指す姿勢を隠さなかった。

 関係者によると、石破氏は8日の会合で、無派閥連絡会を同日付で解散し、他派との掛け持ちを許さない新派閥の立ち上げを表明。石破氏は新派閥の会長となり、古川禎久元財務副大臣が事務総長に就く見通しだ。

 安倍晋三首相(党総裁)の無投票再選が確定した8日に派閥結成に向けて動き出したのは、「ポスト安倍」の最有力候補と目されながら存在感の低下を懸念したためだ。「再選確定後であれば弓を引くことにはならない」(周辺)との判断もあったという。

 8日の会合では、石破氏が今後首相側の干渉を受けずに活動できるよう、「次の内閣改造では入閣しないでほしい」という声も相次いだ。ただ、石破氏は明確に答えなかったという。

 平成21年に額賀派を退会した石破氏は、それ以降派閥の存在に否定的な立場を見せてきた。24年9月に幹事長に就任した際には「派閥均衡人事は行わない」と、派閥領袖(りょうしゅう)の推薦人事を拒否してきた。

 ただ、石破氏に近い鴨下一郎元環境相らは25年1月に無派閥連絡会を結成。側近は石破氏に「派閥化を進めた方がいい」と進言してきた。総裁公選規程では連続での3選は認められておらず、安倍首相の任期は最長で30年9月末まで。側近は「3年はあっという間。首相を目指すなら早い準備が不可欠だ」と述べた。


 ついにというかやっとといったほうがいいか。石破がたちあがった。
前回の自民党総裁選挙では、最初の党員選挙では石破のほうが、リードしていたが、国会議員選挙で安倍に敗れた。
つまりは、当時の全国の保守系の人気では、石破のほうが上だったことになる。

 よく知らない人から見ると、安倍も石破も同じような軍国主義者に見えるかもしれない。
が、元A級戦犯で、60年安保体制を指導した岸信介を祖父にもつ安倍のほうが、DNA的にもよりタカ派だと思う。

 ただし、安全保障に関しては、ふたりともに、小沢一郎が主張する国連中心主義よりも日米の連携強化を主眼においている点ではほぼ一緒だ。

 今回の新安保に関しては、中味というより、やり方において距離があるのではないか。

「自民党、感じ悪いよね」
2015年7月1日、自身を支持する議員の会合で、「自民党がガタガタとするのは政策よりも『なんか自民党、感じが悪いよね』と国民の意識がだんだん高まっていったときに危機を迎えるのが私の経験だ」と述べた。

 今年の流行語候補かとの声も上がっているらしい。

「国民の理解進んだか自信ない」
2015年7月14日、閣議後の記者会見で、「(安全保障関連法案の審議をめぐり)国民の理解が進んでいるかどうかは、報道各社の世論調査の通りで、まだ進んでいるとは言えないと思う。あの数字を見て、『国民の理解が進んできた』と言い切る自信が、私にはあまりない」と述べた。
この発言を受けて、民主党の枝野幸男幹事長は記者団に「石破氏は自民党の重鎮の一人。こういう状況での強行採決は広い意味での閣内不一致だ」と批判。「石破氏は(採決を)止めるべきだ」とも語り、15日の採決を容認しない姿勢を強調した。


若いころから石破の言動には、筋が通っていると思わせることが多かった。
安倍の信念がしっかりしているのは間違いない。

安倍は、小学校から大学までおぼっちゃま学校といわれる、成蹊を出ている。
一方、石破は鳥取の中学校から慶応高校を受験し、そして慶応大学へ。
このあたりが少し違うところか・・・・・

スポンサーリンク



 
タグ:石破 派閥
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

博多の森日記

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。